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「北が命綱の核兵器を離すものか」17.06.25 [日記]

今日は6月25日だ。

この日付を聞いてピンとくる人はもう少ないだろう。

1950年6月25日まさに怒涛の様に北朝鮮軍が南、

つまり韓国に向かって一斉攻撃を仕掛けた日だ。

要するに朝鮮戦争の始まった日。

ソ連のスターリンに唆された北朝鮮の金日成が一斉に武力でもって韓国に攻め込んだ日だ。

午前4時一斉に火花は吹いた。

韓国大統領李承晩はその知らせを聞いてベッドから転げ落ちるほど驚いた。

まさに頭の中が真っ白、といってもよいだろう。

準備万端あらゆる火力を装備し、ソ連に鍛えられた北朝鮮軍はあっという間にソウルを陥落させ、

韓国最南端釜山に向かって一気に押し寄せてきた。

その途中で韓国人を捕まえ思想調査を行い、

共産主義を知らない人間はその場で次々殺されていった。

どれほどむごたらしく殺されたか、自らほらされた穴の前に座らされ、次々後ろから銃殺だ。

そして穴の中にけりこむ。

後日その穴の中から掘り起こされた死体を見て韓国人たちは言葉を失った。

あれから67年もたってしまった。

すぐ連合軍は立ち上がり反撃に出た。

総司令官は日本だけでなく極東の総司令官であったあのマッカーサー元帥。

やっと連合国をまとめて反撃に出たのがあの仁川への再上陸だ。

釜山寸前にまで攻め込んでいた北朝鮮軍は背後から襲われ、大急ぎで撤退に入った。

今度は逆に北朝鮮と中国の国境、鴨緑江近くまで追い詰められ勝負はついたかに見えた。

あの時マッカーサーはトルーマンに戦術核の使用許可を申請していた。

が核の恐ろしさ、決定的な破壊力を恐れたトルーマンは許可しなかった。

どころかマッカーサーを解任し日本からも追い出し、あえなく引退せざるを得なくなった。

その時残した名言、「老兵は死なずただ消えゆくのみ」とあれほど権勢を誇ったマッカーサーも議会で名演説を残しながら消えて行ってしまった。

そのためにあと一歩というところまで追い詰めながら中国義勇軍が一斉になだれ込んできた。

彼らは殆どが元国民党軍の敗軍兵でそれらを前面に立て、

後ろから銃をもって脅かし人民解放軍がつつきだす。

それを連合軍はすっかり中国共産党軍と勘違いし、

撃たれても殺されても後からあとから攻め込んでくる。

アメリカ軍が中国軍に決定的に恐怖心を抱いているのはそのことだ。

それがトラウマとなって二度と中国軍と戦いたくないとしり込みしていった。

そして1953年ソ連のスターリンが死んだ。

どちらもえん戦気分に陥っていた戦いは休戦協定持ち込まれた。

いまだ長官戦争は休戦状態のまま。

何時火を噴いてもおかしくない。

北朝鮮はいまだ武力制圧をあきらめておらず、何かのきっかけで何時火を噴くかもしれない。

南北共存の体制のまま、南の韓国は経済的に大成功し、先進国の仲間入りしている。

だが計画経済の共産主義陣営は見るも無残な状態に陥っている。

金日成は「いっぱいの白飯と牛肉を国民に与えたいと念願したが、

事実は真反対、まともに食事にありつけるのも珍しいくらい。

しかし金日成は言い残した、核兵器さえあれば国は守れると、

以来核兵器の開発に血道をあげている。

いずれにしてももはや話し合いの段階は終わった。

地球上最悪の国家北朝鮮を潰すのは武力制圧しかない。

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