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「ジャンヌ・モローも記憶のかなたに、、」17.08.01 [文化、芸術]

葉月8月燕去月,ツバメ新しく生まれた子供たちを連れて南に帰ってゆく。

そしてこの7日ごろにはもう立秋だ。

月半ばには中秋の名月という月夜がやってくる。

そんな風流を懐かしんでいる時、フランスからはあの大女優、ジャンヌ・モローさんが亡くなったという知らせが入った。

今の子にジャンヌ・モローといってもピンと来ないかもしれないが、

我々の年代では強烈に印象の残る女優である。

なんでも96歳とか、日本でいえば京マチ子と同じ年頃、

ついにあの大女優も逝ったかと年月を感じさせられる訃報である。

あの映画の強烈さ、新進気鋭の監督ルイ・マルか゜バックミュージックにマイルス・デービスを起用し、

場面ごとの状況を彼のトランペットで表現する。

その斬新さ、マイルスも自分の唇が裂けるほど熱演している。

ルイ・マルが25歳の新進気鋭さで自作にモダンジャズを持ち込んだ。

この後もモダンジャズをバックに入れた作品はできたが、この映画程の強烈さは出せなかった。

その強烈な演奏、場面ごとに見事にその状況を見事に表現している。

しかしこの曲は無絶対昼間に聞いてはいけない。

夜あたりが静かに寝静まったころ聴く曲だ。

若かりし頃には一癖ある美人女優だったが、この物憂げな人妻役は彼女にぴったりだった。

突然の彼女の訃報に対してあの強烈な映画「死刑台のエレベーター」がはっきりと脳裏によみがえった。

ルイ・マルが映画の挿入曲にモダンジャズを取り入れたのも初めてだが、

それをマイルスのトランペット一本に託したのも初めてだ。

おかげで映画は大ヒット、日本でも翌年公開された。

勿論日本でも大ヒット、興奮醒めやらぬ表情で観客は映画館を出てきたという。

後年テレビで放送されたが、劇場での興奮は期待すべくもなかった。

今や映画といえばCGで作り上げた化け物映画全盛期だ。

あのアバター以来映画も変わってしまった。

最近の子はそれが当たり前だと思っている。

それらに芸術を理解せよといっても無理な話だろう。

今やテレビ・パソコン全盛期、商売人はこの時とばかりにコマーシャルを流す。

検証できもしない数字を並べてこれでもか、これでもかと垂れ流す。

下手をすると本筋の演劇以上の時間をコマーシャルに割いている。

そんなバーチャルゲームに占領されけた頭で世の中を見る。

見てくれ最近の若者の荒れよう。

すっかり現実とバーチャルの境目が取っ払われてしまっている。

そのつたない頭でありながら、妙に強情だ。

信じるものを絶対に疑わない。

反省もしない。まった小人閑居して不全をなす、そのものである。

もはや古き時代に持っていた人間の感性、情緒、思いやりなど鼻先でせせら笑われる時代になってしまった。

いずれにしてもジャンヌ・モローなど覚えている人間などほとんどいないだろう。

彼女も記憶のかなたに遠く消え去ってしまった。

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