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「とても一回では語りきれない」17.01.22   [文化、芸術]

今日は日曜日だ。トランプの事など放っておいて好きなジャズでも語ろう。

まず何でも三大に括って語れば些か語弊が出るだろうが敢えてそれに拘って見た。

まず黒人三大女性歌手と云えば、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ボーン、カーメン・マクレイ。

中でもエラとサラは群を抜いている。

マクレイは声の質が些か落ちる。

でもあのデイ・ブルーベックのテイクファイブに歌詞をつけ歌っているのは秀逸だった。

では三大白人歌手と云えば、まずアニタ・オディ、

次があのニューヨークのためいきとささやかれたヘレン・メリル、

決して美声とは言えないが、その雰囲気、歌い方、

けだるい様なそのムーディナ歌い方は群を抜いている。

そして彼女の歌にはひときわフルートが冴える。

彼女も今や90歳近いだろう。まだ訃報は聞いていない。

若き日日本にも一度夫の仕事の関係で日本に住んだことが有る。

次にアニタ・オディのスキャット、とても体が黙ってはいない。

彼女が一度広島に来たことが有る。

勿論一番にチケットを手に入れ駆け付けた。

まだ駆け出しのベーシスト、ロン・カーターを連れて来ていた。

あれからだロン・カーターが売り出したのは。おっと一人忘れていた。

あのクリス・コナーだ。彼女の歌にはスキャットはないがムードは抜群だ。

次に男性ジャズ奏者も語ろう。

まずピアノ、何と言ってもセロニアス・モンク、

次に多少異論はあるだろうが次がバド・パウエル、

彼のクレオパトラの夢は素晴らしいリズム感だ。

次にオスカー・ピーターソン。ピーターソンの軽快さ、

それに較べてモンクの重厚さ、聞き比べてみれば歴然である。

些か軽いがトミー・フラナガンも入れたいが、それでは他のピアニストが怒ってくるだろう。

次がドラマー、何と言ってもジーン・クルーパ、

彼のシング、シングシングなど聞いた日にはこの世を離れるほど有頂天になる。

次を選ぶのは難しいがあの蕎麦屋の出前持ちまで口ずさんだと云うアート・ブレーキ―、

彼のモー二ン、ただそれだけではない、チェニジュアの夜、これも聞きものだ。

次がバディ・リッチ、ジョー・モレロウ、いや三大なんて枠にはとても入らない。

次がトランペッター、何と言ってもサッチモ、本名ルイ・アームストロング、

彼のペットには途中で歌が入る、それがなんとも言えない味を出す。

特に三文オペラのマック・ザ・ナイフ、のちにエラもベルリンで歌っているが、

サッチモを先生の様に育ったエラ、ぜひ歌ってみたかったのだろう。

だが私はこの中にどうしても入れたいトランペッタ―がいる。

それはチェット・ベーカーだ。若かりし頃パリのオランピア劇場をあふれさせた男。

そして1988年オランダ、アムステルダムのホテルの二階からち地上に身を投げて自殺した男。

どうにも麻薬との縁が切れず、それをはかなんで身を投げたのだろう。

その哀れさが私の胸に突き刺さって離れないのだ。

彼の泣く様なトランペット、耳について離れない。

他にも素晴らしいトランペッターがいる。

何と言ってもマイルス・デービス、彼のトランペットは人の心を突き刺す。

特にルイ・マル監督の「死刑台のエレベータ-」の挿入曲、

時に大人しくむせぶように吹くと思えばアップテンポで情景を思い浮かばせる。

これとベーカーを比べてはいけないが、心に残ってしようがないトランペッターだ。

いやまだほんの数行しか語っていない。

まだまだ語りたいジャズメンはいっぱいいるのだが、とてもこの紙幅では語りきれない。

まだジャズギタリストも語っていない。

一番多いギタリスト、まずウェス・モンゴメリィ、

彼のベッサメ・ムーチョも聞きものだが、グランド・グリーンのジェリコの戦い、これも聞きものだ。

思わず体が乗ってくる。

次にバニー・ケッセルもなかなか聞かせる。

又素晴らしいサキソフォン奏者も語っていない。

日本でもおなじみのサム・テーラー、日本の歌謡曲を情緒豊かに吹きこなしている。

これはほんのさわりだ、また何回かに分けて語ろう。

何時も政治にばかり偏りがちだが、本当に語りたいのはこんな音楽の話だ。

決してジャズだけに拘っているわけではない。

本邦の歌謡曲、特に昔の股旅物、

あんな情感豊かな曲は今や昔語り、もうこの国にはそんな歌詞を書ける人もいなくなってしまった。

そして曲を書く人もいなくなってしまった。

ただ状況描写の様に喚くだけ、恐るべき日本の朝鮮化。

まぁ悪口はこれくらいにしておこう。

ただすべてを語るには限りないジャズメン達。

今やクロスオーバーなどと云う新語に騙されモダンジャズの世界も境界が無くなってしまった。

そのクロスオーバーの始まりはクインシー・ジョーンズだ。

本邦では山下達郎辺りが入るだろう。

勿論日本にも素晴らしいジャズメンがいる。

それは又の機会に譲ろう。

「遠山金四郎景元いまだ健在」16.10.30  [文化、芸術]

 今日はたまの日曜日だ。胡散臭い世情の喧騒を離れて昔話でもしてみたい。

テレビで人気の遠山金四郎景元、通称金さん、彼の話をしてみたい。

遠山家と云っても明知遠山家とは全然関係ない。

明知には彼の明智光秀の血が少しは流れている。

だがこの金さんは全然別物だ。

さりとて全然架空の人物ではない。

生まれた日にちは確かではないが、その死した日から推定すると、

景元の死は安政二年(1855年)隠居して二年後だ。

だからはっきりした歳は分からない。

(天保11年)に北町奉行に昇進している。

一時大目付となるが、弘化二年(1845年)南町奉行になり、

数々の命裁判を下し一躍江戸庶民の人気者になる。

金四郎の父は長崎奉行を務めたが子が生まれず、金四郎景元を養子にする。

その後に実子が生まれたのだ。

世の中はこんな互い違いの話が多い。

がその子が相続することになり金四郎は家を出る。

そしてお定まり放蕩の限りを尽くす。

例の火つけ盗賊改め方鬼の平蔵こと長谷川平蔵がこわもての役人なら、

こちらはすっと庶民的、心温まる名判決を多く下している。

若き頃には桜もの入れ墨も彫り、かなりのやんちゃ坊主だったようだ。

が景元は文化11年(1814年)堀田伊勢守の娘を嫁にもらう。

かくて出世の道は開かれる。

影元はもともと妾腹の子で出世の芽などほとんどなかった身だ。

しかし正妻の子はもともとひ弱な上やる気がなかった。

そこへ行くとやんちゃで元気の良い金四郎、その結婚以来、出世街道を走ることになる。

そして庶民の味方として大活躍する。

天保の改革の際老中水野忠邦が庶民の娯楽を禁じ、

堺町の芝居小屋の取り潰しを画策したが、影元は庶民の娯楽を奪うものとして大いに反対する。

すったもんだの末結局影元は浅草に移転することで決着を付けた。

しかしあの金さんの活躍の大部分は後世の戯作者によるもの。

彼の死後戯作者松林白円が書き始め、以後多くの物書きが誇張して面白おかしく書きだしたのが始まり。

だが吉原勝元楼の大火事の事件は遊女白菊の放火と判断されたが、

故意に放火したのではなく何かにつまずいて燭台を倒したもので、

故意の放火ではないと判断したが、失火の原因は白菊にあるとして遠島を申し渡した。

が遠島の身ではその弁償も出来ないと訴えた。

そこで景元は年に二文ずつ返せと命じた。

それが終わるまで刑の執行は行わないと判決を下した。

体の良い執行猶予である。

以後金さんの人気は上がり、今だテレビの人気者となって活躍している。

日本の時代劇は何時も勧善懲悪、単純明快が主流。

世間の動きに関係なく悪者がどんどん裁かれてゆく。

そんなこの国の文化、いつも話の筋立ては決まっているのだが、

ついつい我々はそれをみて溜飲を下げている。

金さんの活躍もそんな庶民の味方、

あの何時も話の終わりに出て来る桜吹雪の入れ墨、

待っていましたと庶民は拍手を惜しまない。

そして明瞭で人情細やかな判決に何時も釣り込まれてしまう。

昨今の左翼左巻きのイデオロギーもこんなこの国の文化には勝てないようだ。

金さんは永遠に、、

「駿河大納言忠長卿の忘れ形見??」16.04.29   [文化、芸術]

 今日はみどりの日、昔は天皇誕生日とだった。

昭和天皇の誕生日それが何故みどりの日になったのか定かではないが、

せめて昭和の日ぐらいにとどめてほしかった。

その昭和も過ぎ去って早や28年、今やその面影は殆ど消え去ってしまった。

まぁそれはさて置いて、ウィークデイの夕方放送される長七郎江戸日記、毎日楽しみに見ている。

その他黄門様のご活躍も楽しみに見ている。

何しろ今のように空中を電波が飛ぶ時代ではない。

よくぞあれだけ活躍して噂が流れなかったものと感心している。

さて長七郎公の話だが、実際は長七郎自身が全然存在しない架空の人物であることが判明している。

まぁ娯楽劇なので罪のない話ではあるが、

その父上は駿河大納言忠長卿、徳川二代将軍秀忠の第二子である。

長男は三代将軍家光、徳川の時代も三代続きその基盤を固めなければならない時、

母の信長の妹「お市の方」と浅井長政の娘,於江与(おえよ)である。

二代将軍秀忠に嫁ぎ竹千代と国松を生んでいる。

兄竹千代は三代将軍家光になり、弟の国千代は駿河大納言忠長となった。

母於江与は愚鈍な長男竹千代より明敏で闊達な弟国千代を愛した。

しかし春日局の家康への直訴により竹千代に決まってしまった。

何しろ春日局はあの斉藤内蔵助の娘、

明智光秀が信長を討ってむくれなければ秀吉が政権を取れず、

また秀吉政権は誠に基盤の薄い存続性の無いものだった。

かくして徳川に政権は移ったがその基盤は今だ完全に安定していない。

加えて母於江与の溺愛振りだ。

それを見て親藩譜代外様含めて国千代が相続するのではないかと馳せ参じ伺候する。

しかし家康の決断で竹千代に決まると国千代は邪魔な存在になる。

最早忠長は邪魔な存在、何としても取り除かなければ我が身があぶない。

そして寛永三年(1626)年母於江与が亡くなる。

母が生きている頃には忠長も心強い後ろ盾があったが、その最大の拠り所が無くなる。

家光にとっては最大のチャンス、兎に角招来に禍根を残すような障害は取り除かなければならない。

かくてそれまで貰っていた駿河55万石は取り上げられることになる。

だがそれだけでは家光は安心できない。

何しろ幼少時には母から疎外され、弟の国千代が三代を継ぐのではないかと圧迫され、

たまりにたまっていたうっぷんがこれで吐きだされると内心喜んだ。

此処が家光の執念深いところ、単に駿河55万石を取り上げたのでは気が済まない。

まず忠長の謀反計画をでっちあげる。

忠長は確かに将軍の弟である俺が、わずか55万石では満足できない。

加賀前田家でも100万石貰っているではないか、

又島津でも73万石貰っているではないか、と不満を漏らしたとか。

がそれが巷間に流布させたのが果たして忠長であったかどうかは確かではない。

家光の執念、そして幕閣の画策、いずれにしても両雄並び立たず。

遂に忠長は腹を切らせられることになる。

ただ忠長は正妻にも側室にも一人の子供も残していない。

テレビで活躍する忠長の忘れ形見、長七郎は存在しない。

熱心に見ていたのに残念至極、、。

「父の名声と戦った娘の死」16.01.02 [文化、芸術]

 新年早々早くも悲しいニュースが飛び込んできた。

あのナット・キング・コール・の娘ナタリー・コールの訃報だ。

12月31日65歳で亡くなったと云う。

2015年10月頃には体調を悪くして公演もキャンセル程体調を崩していたそうだ。

偉大なる父キング・コールの娘として同じ歌手の道を目指したが、必ずしも平穏無事な道ではなかった。

しかし蛙の子は蛙、子供のころから歌い続けた声は、

流石親の遺伝子を受け継いだと云われるほど透き通った声だった。

しかし親の名声を背景に歌うことは本人には必要以上にプレッシャーを受ける事だっただろう。

父親のあの低音で廻りを包み込むようなふくよかな音とは違う、どちらかと云うと高音の領域で歌う彼女、

しかし音感、感性は素晴らしかった。

彼女が父親より素晴らしい曲を残したのはあの「ルート66」、

父親のは少々薄っぺらいと云うのか、軽く歌い流していたが、

彼女の「ルート66」ははるかに声量もあり、堂々としていた。

そして何と言っても死した父親の声に重ねて歌った「アンフォーゲッタブル」、

父への追慕の念か、見事にシンクロさせて彼女の名を一気に世界に広めてしまった。

何度聞いても涙の出てくる名声である。

しかし必ずしも好事ばかりではない。

ドラッグを使用していた過去もあり、C型肝炎にかかり肝臓移植手術を受けていたこともある。

ナタリーの影響を強く受けていたアレサ・フランクリンもこの死に深く打ち沈んでいる。

確かに聴き比べてみると彼女の影響がここかしこに入っている。

彼女だけではない、彼のトニー・ベネット、今や大御所となって生の声は聞けないが、

彼も彼女の訃報には深い悲しみを表せている。

けっしてジャズ歌手ではないが、ポピュラー界の金星の様な存在。

それにしても65才はまだまだ若い。

惜しみても余りある訃報である。

既に我々の知る名歌手、名優たちが殆どこの世を去った今、歌の世界も全然変わってしまった。

元々R&Bの世界からスタートし、今やクロスオーバーと云う国籍不明のジャンルが支配してしまったポップス界、

日本でももうあの歌謡曲と云う世界は無くなってしまった。

今や残るのはかすかにあのニューヨークの溜息と言われたヘレン・メリルぐらいのもの。

その彼女も既に90歳近くになる。

時代は変わる世はめぐる、というには些か若すぎる死であろう。

改めて聴き直してみても彼女の現名声を聴けば聞くほどその死は惜しまれる。

我が楽庫にはジャズ、タンゴ、ホピュラー、歌謡曲、演歌、数々あるが、

何と言ってもジャズ、ポピュラー、それにタンゴの数々、加えてクラッシックの名曲、

音楽こそ現役を去り、無聊な心を慰めてくれる心の宝である。

だが年々それらの演奏、歌唱を残してくれた人々の訃報を聞くたびに心は塞がれる。

特にナット・キング・コール・フランク・シナトラ、ペリー・コモ、

加えてエラ・フィッツジェラルド、とサラ・ボーン、などこの世を去って久しい。

そして今回のナタリー・コールの訃報だ。

彼女のご冥福を心よりお祈りする。

「映画は世界を楽しませる、後篇」15.10.04   [文化、芸術]

今日は日曜日、先週からの続きで名優たち、

と云っても男優に絞ってだが、数々の名優たちを振り返ってみよう。

強烈な性格を全面に出だし、曲者をやらせれば比べるべくものなし、

こんな性格俳優は見当たらないと云うリチャード・ウィドマーク、

1914年に生まれ2008年3月まで生き93歳で没している。

1947年の「死の接吻」から始まり1991年の「トゥリュー、カラーズ」まで実に38本の映画に出演している。

もちろんほとんどが主役だ。

中でも「情け無用の街」「地獄の戦場」での冷酷さがいかんなく発揮されていた。

少し後先になるがあの(シェーン、カムバック)で有名なアラン・ラッド、

1913年生まれで1964年にパセッド、ウェイ、満50歳での死だ、些か若すぎただろう。

映画シェーンでジョウイ坊やが必死で去りゆくシェーンにカムバックと呼び叫ぶ声、

しかしその時シェーンは打ちあいで弾が当たり既に馬上で死んでいたと云うのだ。

次に性格俳優と云えば欠かせないのがあのアーネスト・ボーグナイン、

1917年に生まれ2012年迄長生きした。

悪役としては彼の右に出る者がない。

が時として善人役にも好演する。

それがなんともいえぬ好々爺を演じるのだ。

次が正義感の塊、数々の戦争映画にも出てきたグレン・フォード

日本との合作映画「八月15夜の茶屋」に主演している。

マーロン・ブランドも主演しているが、日本では京マチ子が出ている。

日本が戦後の復興を果たし、豊かになったころの映画だ。

何かと日本に気を使うアメリカがうかがえる。

珍しいと広ではリカルド・モンタルバン、名前の如くアメリカ人ではなくメキシコ人だ。

1920年生まれで2009年88歳にで死している。

なかなかいい男でメキシコを代表する俳優だった。

珍しいところではフランスの名優リノ・バンチェラ、

1919年に生まれ1987年68歳でこの世を去っている。

フランスの刑事役にはなくてはならない男、

特に老年になったジャン・ギャバンの相手役としては欠かせない俳優だった。

あの凄味、あの貫禄、ギャバンを向こうに回して一歩も引けを取らない男、

そこに行くとアラン・ドロンなどまだまだ若造、そのドロンも既に79歳、最早老体である。

珍しいところではイタリアの名優ロッサノ・ブラッツィ1916年生まれで1994年にパセッド・ア・ウエイ。

ハンフリー・ボガードとエバー・ガードナーと出演した「裸足の侯爵夫人」が思い出される。

それにあの「旅情」アメリカの些かオールドミスのキャサリン・ヘップバーンとの束の間の恋、

最後に出て行く列車を追いかけて見送る姿。

それに必死に手を振るヘップバーン、正に旅情のクライマックスだ。

今でもあのシーンが瞼に蘇る。

そして華やかで派手な侯爵夫人のエバー・ガードナーに振り回される役は今でも印象に残る。

もう一人イタリア俳優として忘れてならないのが、マルチェロ・マストロヤンニ、

1924年に生まれ1996年12月に72歳で死している。

若かりし頃にはアニタ・エグバーグ、ソォフィア・ローレン、フェイ・ダナウェイ、

カトリーヌ・ドォヌーブとも浮名を流し、ドォヌーブとの間には子供迄なしている。

いかに色男だったか、しかし人は老いるもの、浮世の置き土産だろう。

次があの強烈なデビューで世を沸かせたマーロン・ブランドデビュー作「波止場」では港湾労働者を演じ強烈な印象を残している。

その他にも数々主演しているが、何と言ってもゴット、ファーザーでのドン・ヴィトー・コルニオーネ役、

イタリアンマヒィアの親分としては彼をおいて演じられる俳優はいなかっただろう。

しかし私にはそれよりも少し前に出た映画、「ラスト、タンゴ、イン・パリ」が印象に残っている。

あの尻をむき出しにして悪態をつく中年男の怠惰さか印象に残る。

そしてあの得体のしれない狼男のチャールス・ブロンソン、

1921年に生まれ2003年8月30日88歳まで生きたあの男が印象に残る。

インデアンの血を半分受けた様な土臭さ、時折見せる優しさと、非情さが入り乱れて一層謎めかせる。

特に「夜の訪問者」で見せた沈着な役柄、敵役のジェイムス・メイスンとの攻防がリアルを極める。

特にジル・アイアランドが健気だった。

そして強烈な個性派俳優、リー・マービン1924年から1987年8月までの63歳で没している。

戦争映画にはなくてはならない鬼軍曹と云われるほど元気な俳優、個性的風貌が今も印象に残る。

次がハリウッド俳優の中では最もスマートでおしゃれな男、

ブランド洋服のコマーシャルでも有名になった、

ジェームス・コバーン、スマートな体型でブランドもの背広のコマーシャルにも出ていた。

アメリカ版荒野の7人でナイフ使いの名人としても出演していた。

残念ながら2002年心筋梗塞のため、74歳で急死している。

死の直前まで映画には出演していた。

彼の名前が出ればどうしても登場してもらわなければならない男、

云うまでもなくあのつるっばげ男ユル・プリンなーだ。

彼の代表作「王様と私」シャムの王様役で出演しているが、「荒野の7人」の頭目役でも印象に残る。

日本版では志村喬が演じた村を助ける役、そのアメリカ版としてまとめ役を演じた。

その他彼の印象はつるつる頭の名優としても印象に残る。

もう一人の性格俳優として印象に残るのはジョージ・ケネディだ。

1925年生まれで現在90歳今だ生存中、去年2014年にも元気で映画に出演している。

中でも印象に残るのはアメリカの誇るボーイング礼賛映画、エアポートシリーズ、

如何にボーイングの旅客機が優れているか、数々の設定でその優秀さを誇示している。

あのころまだパン・アメリカンと云うアメリカを代表する航空会社があったが、今や影も形もない。

月日の過ぎるのは全く矢の如し、

今や真面な映画は少なくCGによる化け物映画、空想映画、

リアルに人情映画など作っても振り向いても貰えない。

まして演技の出来る俳優を望む方が無理と云うもの。

我々の時代はよかった、と旧情にふけるのも既に昔語りになってしまった。

実はまだまだ語りたい俳優はいるのだが、時代が変わり過ぎた。

機会があれば何れ又、、、。

「映画は世界を楽しませる、男優編」15.09.27   [文化、芸術]

今日は日曜日だ、たまには政治の話を逃れて楽しい話もしたい。

我々の楽しみは何と言っても映画、それもアメリカ映画全盛期の頃の映画、

と云ってもフランスにも、ドイツにも名画は多い。

我々が知っている俳優の中で最も古いのは、あのモーリス・シュバリエ、

あのオードリー・ヘップバーンが娘役を演じた、「昼下がりの情事」で見せた父親役。

1888年から1972年まで生きて83歳でこの世を去っている。

ヘップバーンも可愛かったが、甘いも酸いも知り抜いた父親役が見事だった。

次があの名演技で我々をうならせたハンフリー・ボガード、

1899年に生まれ1957年に死去し意外と短い人生だった。

だが中身は濃厚、特にイングリッド・バーグマンと共演した「カサブランカ」、

キャサリン・ヘップバーンと共演した「アフリカの女王」で見せた磊落で豪快な役、

自家製の爆薬でドイツの軍艦を沈めようと云う役だ。

正しく反枢軸国映画、早死にが惜しまれる。

次に古いのがフランスの盟友ジャン・ギャバン、

1904年から1976年まで生きて72歳で亡くなっている。

フランス映画では何時もギャングの親分の様な役回りだった、そしてそれが貫録十分なのだ。

アランドロンなどほんの端役、小僧っ子扱いだった。

彼が若かりし頃出た映画「望郷」での哀切な映画は今も脳裏に残る。

何しろ戦前1939年の映画だ。

次があの有名なゲーリー・クーパー1901年生まれで1961年まで生き60歳で亡くなっている。

あの「昼下がりの情事」に出演した後すぐ死んでいる。

若死にの部類だろう。

死の直前まで色男を演じるなど幸せな人生だっただろう。

次が軽妙洒脱な映画に出ていたケーリー・グラント1904年から1986年まで生き82歳で亡くなっている。

彼の本名はアーチボルト・アレクサンダー・リーチと云うイギリス人だ。

がハリウッド映画に欠かせない名優だった。

本当に美男子で特にグレース・ケリーと共演した「泥棒猫」が印象に残る。

又エバー・マリーセントと共演した「北北西に進路を取れ」では飛んだ事件に巻き込まれ逃げ回る役が秀逸だった。

性格俳優では右に出る者がないと云われたカーク・ダグラス1916年生まれで現在も生存している。

来年は100歳になろうかという長寿だ。

息子のマイケルダグラスが既に70を過ぎようかという年齢、

マイケルと高倉健が共演した日米合作「ブラックレイン」での活躍がつい昨日の様だ。

彼の体を張った名演技、今も印象に強く残っている。

ついでだがあの美人の奥さん、キャサリン・セタ・ジョーンズさんはどうしているだろうか、

ま、それは女優の項に任しておこう。

次があのオードリー・ヘップバーンの旦那さんだった、メル・ファーラ―

1917年から2008年に出生き90歳で亡くなっている。

同名で知られているホセ・ファーラ―彼の方が年上、

1912年生まれで1992年まで生き80歳で亡くなっている。

彼がフランスのシャンソン歌手名前は忘れたが、「生き残った二人」という映画に出演し、

敵地ドイツの中に潜入し無事任務を果たして行く役目、

最初は10人以上いた部下が最後は二人になってしまうと云うシリアスな映画だ。

がそれを面白く描いている所にその深刻さが伝わってくる。

この映画を見たすぐ後にと云っても80年代だが、

パリの凱旋門の上でこのホセ・ファーらーと出くわしたのだ。

すっかりのぼせ上ってエッフェル塔を見るのも忘れてしまったことを思い出す。

次がアンソニー・クイン1915年生まれで2001年まで生存86歳で亡くなっている。

「ジェルソミーナ」で演じた薄情な男、真に迫っており彼を悪い男だと思わせられる悪役ぶりだった。

しかしその他では男っぽい硬派の役者だった。

忘れていたあの名優を、それはヘンリー・フォンダだ。

数々の映画に出演し、娘のジェーン・フォンダとの確執、親父の死までそれは続き話題を呼んだ。

息子のピーター・フォンダは「イージーライダー」に出演し後を継ぐかと思われたが、

それっきしあとは鳴かず飛ばずて消えてしまった。

特にヘンリーの最後に出た映画「黄昏」キャサリン・ヘップバーンと老夫婦の晩年を描いた名作であった。

少し後先になったがあの名優クラーク・ゲーブル意外と若死にで1901年に生まれ1960年に死去している。

59才だの若さである。

あの「風と共に去りぬ」という大作を残し銀幕に名をはせたが、共演したビビ・アンリーの熱演も印象に残る。

おっともう一人忘れてならないのがウイリアム・ホールデン1918年に生まれ1981年に死去、

63歳の若さ正義漢役にはなくてはならない役者だった。

「慕情」でジェニファー・ジョーンズと共演し、折からの朝鮮戦争に従軍し名誉の戦死をする役、

相手役のジェニファー・ジョーンズの理知的で美しかったこと、今も強烈に印象に残る。

しかしホールデンはつくづく戦争に巻き込まれる役が多く、

朝鮮戦争で海軍パイロット役に出演した「トコリの橋」での悲劇、

出撃中に搭乗機、確か「グラマンF9F5パンサー」だったと思うが、その燃料タンクに被弾し、燃料はもれる。

だが味方の領地寸前で不時着をせざるを得なくなる。

後数百メートルでたどり着くと云うスリリングさ、が最後は寸前の処で敵に撃ち殺されてしまう。

そんな悲劇の役が多かった。

それが編隊を組んで飛ぶ姿、まだ若かった私にはとても印象に残った。

何しろ模型狂いと言われるほど模型作りに夢中になっていたころだ。

次に正義漢役ではなくてはならない男、そうあのグレゴリー・ペックだ。

1916年から2003年まで生き87歳で亡くなっている。

最期にあの資本主義の権化のような金融業者に会社を乗っ取られる物語、

最後の最後まで死力を尽くし会社を存続させようとするが、金融業者の方が一枚上手だ。

最期は乗っ取られてしまう。まだまだ語れば山ほどあるが、

今回はここまでにしておこう、次回をお楽しみに、、

「007も最早昔語りか、、」 15.08.30   [文化、芸術]

今日は日曜日だ。

尤も私にとっては毎日が日曜日のようなものだが、我々の年代はよく映画を見ている。

中でもあのジェームス・ボンドの007シリーズは殆ど見ている。

原作がイアン・フレミングと云う元イギリスの諜報部員であった。

元職を地で行くようなもの、諜報部員は使い捨てだ。

その為いとも簡単に脇役は殺されてしまう。

それに何時も出てくる小道具の数々。

それがなんとも斬新。時代の先端技術を結集したような見事さで我々の目を奪う。

初代ジェームス・ボンドがかの有名なショーン・コネリー、1930年生まれの現在85歳。

この間もスコットランド独立投票でも元気な姿を見せてくれていた。

188センチの堂々たる体躯、その存在感は今も健在だ。

彼は第七作迄主演しているが、彼の乗るアストンマーティンDB5、

その格好の良い事、機関銃は出て来るわ、ロケットは出て来るわ、

この映画の陰の主役とも云ってよい程活躍する。

そのショーン・コネリーの最後に出てくる場所が日本だ。

お蔭で当時本邦で活躍するスターがふんだんに出てくる。

彼等を除いてスターはいないと云われるほどの俳優。

例えば丹波哲郎、若林映子、そして見事なプロポーションを見せてくれた浜美枝。

今どうしているだろうか、私と殆ど同じ年くらいだが。

そして映画の中で歌われる数々の音楽

中でもシャーリー・バッシィの歌には凄味と迫力があった。

その歌声は今でも耳に焼き付き強烈な印象を残している。

そしてショーン・コネリーの後に出てきたのがロジャー・ムーア。

彼もショーン・コネリーに負けない程の活躍している。

次に主役を張ったのが、ティモシー・ダルトン、しかし殆ど印象に残っていない、

すぐピアーズ・ブロズナンに変わっている。

彼はこのシリーズ四作品に出ているが、

中でも唯一北朝鮮を扱った「アナザーディ」あの訳の分からない国、

それを主題にしているので興味はあるが中身はさっぱりわからない。

ただ彼はこれを卒業した後、中南米を主題にした映画、

洋服やの親父を騙して大金を持ち逃げする役に出ている。

そしてそのイメージを失墜させてしまった。

そして今も活躍しているダニエル・グレイグだ。

如何にも現代風、男前でも堂々たる体躯でもない。

最早あの小道具が活躍する時代ではない。

それに映画の見方も全然変わってしまった。

映画館に群がるのは中南米から押しかけた貧乏人ばかり、

それなりの金持ちは自宅にDVDでも置いてそれで楽しんでいる。

既に007の時代は終わっているのだ。

そしてコンピュータグラフィックを使った化け物映画ばかり、

人間に尻尾が生えていたり、空を飛んでみたり、兎に角映画も変わった。

見てくれ昨今の映画の愚劣さを、彼等は商売だ。

最早内容のある映画は日本でしか作られない。

しかしなんともりとした日常を描くだけ。

映画の時代は終わってしまった。

それにしてもあの美男子たちが忘れられない。

007は遠くなりにけり、それ程現代は訳の分からない時代になってしまった。

「日本の女性は人前で口も覆わず大笑いしないもの」15.08.2   [文化、芸術]

そうかそこまできてしまったのか、今年のミス世界の大会に日本も出場している。

しかし純粋の日本人ではない、アメリカ黒人と日本人の母親を持つハーフだ。

どうしてミス日本に純粋の日本人が選ばれなかったのか、

混血も遂に此処まできてしまったのかと複雑な心境だ。

日本を代表する人物にだ。実はこのミス世界のコンテスト

単に顔立ちやプロポーションの身を競ったものではない。

教養と云う奥深い人格をもテストされる。

それまでこのコンテストに参加するミス日本は、我々もさすがとうなるほどの美人で、

立ち居振る舞いも納得するものがあった。

しかし世の中は回転する。

今の世界情勢の如く知っちゃかめっちゃか、何が何やら分からぬ状態になってしまった。

偶々昨日のニュースザップの放送を見ていたら彼女が出ていたのだ。

この放送概して世界情勢を解説し、世界から見たこの国の状態を表すものだが、

特にイギリスBBC、アメリカのCNNを主体に世界情勢を解説している。

そして毎回日替わりでコメンテーターを呼んできてその意見を開陳させている。

一昨日はあの反日本の塊菅直人を呼んできて意見を述べさせていた。

が何しろ根っからの反日運動家、彼が首相をしていた時、

国家の金がどれ程北朝鮮シンパに渡っていたか、

日航機ハイジャック事件の主犯たちの息子が密かに日本に潜り込み、

この国の地方議員に立候補させようと盛んに資金援助をしていた。

放送ではさすがにそれには踏み込めなかったが、

こんな男を呼んでくるだけでこの放送のいい加減さは露呈している。

月曜日のメインコメンテーターにはあのモーリー・ロバートソンさんが勤めているが、

毎回ながら彼の世界情勢に対する洞察は鋭いものがある。

菅直人は原発反対の論陣を展開して原発など必要ない事を熱弁していた。

それはそれで一人の国民の意見としては聞くべきものがあったかもしれないが、

根っからの反日本左翼、辻本清美同様その下心は到底我々を納得させるものではなかった。

すっかり話はそれてしまったがあのミスユニバース日本代表の件、

宮本エリアナさんも日本で生まれ日本で育っているのだから今や立派な日本人と言えるだろう。

が我々には釈然としない空気が漂っている。

日本にはそれ程純粋の日本美人はいないのか、

実はこのミスユニバースを主宰しているのが、今アメリカを騒がせているドナルド・トランプが主催しているのだ。

何でもよい目立ちさえすればよい。

そして金にあかして世界中の美女を侍らせて、吟味しようと云う不純な動機かも知れない。

ミスユニバースのからくりが分かるにしたがって、いっぺんに気が抜けてしまった。

教養を試されると云うがこの番組の意図には程遠いレベルの持ち主、すっかり失望してしまった。

こうなればこの国内だけで選ばれるミス日本の方がよっぽど意味がある。

国際化も程々に、商売の為なら魂まで売り飛ばしてしまう商売人、

日本人を馬鹿にするな、人前で口も覆わず大笑いする様な女は日本の女性ではない。

馬鹿にするな、、

「この国の歴史は燦然と輝いていた」15.04.26  [文化、芸術]

 この前は日本一小さな五重の塔を求めて奈良の奥に走ったが、

今度は日本一大きな五重塔を求めて京都の東寺を目指した。

京の入り口、九条にある日本一大きな五重塔。

高さ54.8メートルもあり正しく日本一だ。

いつもはその角を回り、京都駅を目指すのだが、

今回はその東寺の境内に入り、間近でその偉大さを肌で感じてきた。

そもそも桓武天皇の発案で、延暦15年(西暦796年)から立てられ始め、

その後平成天皇を越え、嵯峨天皇に渡る。

がすぐ弘法大師空海に下渡され、実際は弘法大師空海が建立したと云われる。

以来真言密教の根本道場として栄える。

正に空海の寺として世に広められる。

途中で何回も火災にあい、中でもあの応仁の乱の直後土一揆によりに焼き払われてしまった。

現在の堂宇は慶長8年(西暦1603年)に完成されている。

秀吉の寄進によりあの広大な寺院は再建された。

中でも目を見張るのが中に治められている仏像の数々、

特に中央に鎮座する薬師如来三尊を取り囲む12神将象、

特に干支(えと)を意識して配せられ、最初に子(ねずみ)を意識した毘渴羅(びから)大将像が釈迦如来の北に起立する。

次が丑(うし)を意識した招杜羅(しようとら)大将像が金剛菩薩の北に立つ。

次が寅を意識した真建羅(しんだら)大将像が普賢菩薩の東に立つ。

次が卯(うさぎ)を意識した摩虎羅(まこら)大将像が薬師如来の東に立つ。

次が辰(たつ)の波夷羅(ばいら)大将像が文殊菩薩の東に立つ。

次が巳だ、それは因達羅(いんだら)大将像が地蔵菩薩の南に起立する。

次が午(うま)の珊底羅(さんてら)大将像が虚空菩薩の南に立つ。

そして未(ひつじ)の頞爾羅(あにら)大将像が摩利支天の南に立つ、

次が申(さる)だ。それが観音菩薩の西に立つ。

そして酉(とり)の迷企羅(めさら)大将像は阿弥陀如来の西に立つ。

次が戌(いぬ)の伐折羅(ばさら)大将像が勢至菩薩の西に起立する。

そして次の亥(いのしし)の宮毘羅(くびら)大将像は弥勒菩薩の北に立つ。

この様に御本尊薬師如来を取り囲んでいる。

かくのごとく大小さまざまな五重塔、三重塔があるが、

これ程地震の多い国で今だその地震で倒壊した五重塔と云うのは聞いたことがない。

どんな秘密があるのだろうか、この国の人間の真面目さ、

そして細やかさ、加えてその技術の確かさ、今や世界にこれほど長く引き継がれたものはない。

こうして数々の歴史的遺産を目の前にするとき、たった一回の敗戦で腰が抜けてしまった政治家共。

いくら戦いに負けたとはいえ、決して戦争などでは国は亡びない。

戦前の真面目な日本人先輩は必死になってこの国を立て直してくれた。

が彼らが消え去るとともにこの国はおかしくなった。

あの偉大な文化施設、歴史的建造物、

それを作った日本人の心を売り飛ばしてしまい、我が利権だけに執着する昨今の政治家、

そして国を売り飛ばしてもわが懐を肥やしたい商売人共。

これを正すのはこの民主主義では不可能。

此処まで崩れたこの国を取り戻すのは不可能。

涙が頬を伝う。

「日本一小さな五重塔は輝いていた」15.04.21 [文化、芸術]

 先日かねてから一度は行ってみたいと思っていた奈良県にある日本一小さな五重塔が立っている室生寺に行ってきた。

胃癌が肺に転移し何時まで生きられるか分からぬ身、出来るだけ多くの文化財を見てあの世に行きたいと思っている。

その中でも室生寺は絶対欠かせないところ。

実は以前西国三十三カ所廻りの際、八番札所長谷寺のすぐ近くにあったのだ。

知っていれば足を延ばしていたものを、不覚であった。

あの日本一小さな五重塔は台風による大雨で隣にあった大木が倒れ大きく損傷をしていた。

がそれも修復され見事に昔日の輝きを取り戻していた。

それにしても西名阪を越え、奈良を一望に見おろす坂を上がり、

名古屋に抜ける自動車専用道を通り、針インターで降り、そこから室生寺までは遠かった。

特に途中事故渋滞に合い、そうでなくとも遅れているところ、やっとたどり着いた。

だが天候に恵まれ初夏の様な陽気はその疲れを吹き飛ばしてくれた。

遠く天武天皇の祈願で役小角によって創建されたと云う起源、

その後荒廃していたが、後に興福寺の勢力下にあったが、

天台、真言の密教を伝える大きな役割を果たす。

当日は遠くアメリカからの信者が団体を組んで訪れ、お経をあげていた。

最初の一行は日本語で、あとはどう訳したのか分からないが英語でお経を上げていた。

遠く日本まで旅して参拝するなど、如何に弘法大師の教えが伝わっているか、

その一人に何処から来たのか聞いてみたが、胸を張ってユナイテッド・ステーツと答えていた。

あれほど荒廃しているアメリカ国内において、敢えてユナイテッド・ステーツと答えるところに彼らの誇りを感じた。

我々にもスピリチュアルな心が残っているのだ、と言わんばかりである。

しかしあの言葉をどのように英語に訳したのか、はなはだ興味はあったが、如何せん私の英語力では理解できなかった。

勿論あらゆる角度であの五重塔は写真に収めたが、

すぐ近くにあの南朝後醍醐天皇を支えた北畠親房(きたはたけちかふさ)のお墓があった。

尤も「伝」と云う冠がついていたので何処までが真実か少々疑わしい。

それにしても神皇皇統記を書き残した親房。

息子の顕家(あきいえ)が建武三年、1336年東北から駆け上がって来て尊氏を西国九州に迄追い払った。

が体制を立て直し京に盛り返してきた尊氏、

結局天皇から下渡された句当内侍に溺れ出遅れた新田義貞。

それが命取りとなり楠木正成は討ち死にし、自らも北陸に追われる。

それ等の歴史がこの寺に痕跡を残し、昔日を彷彿とさせる。

思わぬ感慨にふけったが、女人高野(にょにんこうや)と言われる室生寺、

昔は女性禁止と言われた各地のお寺、その仲で唯一この寺は女人を受け入れた寺としても有名。

折からこの国の歴史文化が羨ましくて仕方がない罰当たりが油をま切らしている。

無粋にも各所に警官が立ち、寺の係員も目を光らせる。全く困ったものだ。

それにしてもこの国の歴史は奥深い。

そんな感慨にふけりつつ幸せなひと時を過ごした。

そして帰りは聖徳太子の里法隆寺を回った。
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